プレジデントオンラインに、興味深い記事が投稿されているのを見つけました。
幸せになるには、どうすればいいのか。福厳寺住職で登録者40万超のYouTubeチャンネルが人気の大愚元勝さんは「お釈迦様は地位や名誉や財宝が幸福をもたらすわけではないことを体感して、29歳の時に出家している。重要な事は、何かを得ようとするのではなく、何かを与えようと思考することだ」という――。
我々投資家は、当然ながらお金を稼ぐために投資を続けているのですが、世間一般から見ればかなりの資産を有している人でも、幸せそうだなと思える人は限りなく少ないです。
SNS上でしか見れない一面なので、幸せそうに見えないだけかもしれませんが、何千万円、何億円というような資産を保有しているはずの投資家さんたちが、他人と言い争ったり、極端な持論を展開していたりするのを見ると、幸せそうには思えないな〜と思います。
私がSNSが苦手な理由がそこで、SNS上だけで意識高い系の人がいたり、逆にSNSではお金のために品のないクズに成り下がったり・・・こういう人たちが、自分のためにお金を稼いでいる人たちなんだろうな〜と、私は少し距離を置いて見てしまいます。
やっぱり、不幸そうな人には近づきたくないという心理が働いてしまいますし、類は友を呼ぶとも言いますから、不幸そうな人には不幸そうな人が寄ってきます。
顔を合わせたこともないSNS上の知り合いのために、自分の感情を左右されるのは極めて不幸なことだと思います。今の日本人が不幸なのは、他人と自分を比べ、他人の意見に流され続けているからだと思います。
他人と比べるから、収入や資産が劣っていれば悲しみを覚えますし、他人の根拠のない意見に縋りたくもなるものです。
今回の記事の本題ですが、仏教の祖・ブッダの逸話にこのようなものがあるそうです。
旅の途中、お釈迦さまが大病を患らったときのことです。師の最期が近いことを悟った弟子が、お釈迦さまに次のように尋ねました。
「お釈迦さま亡き後、私たちは何を頼りに生きていったらいいのでしょうか」
不安がる弟子に対して、お釈迦さまは次のように答えます。
「自分自身を洲とし、自分自身を拠りどころとして生きよ。それ以外のものを拠り所としてはならない。法(お釈迦さまの教えであり、この世の真のあり方)を洲とし、法を拠り所として生きよ。それ以外のものを拠り所としてはならない」
つまり、お釈迦さまは「自分自身を信じて、自分自身の努力をもって、生きる道を切り開きなさい」と説いたのだということです。
頼れるのも信じられるのも、結局は自分自身です。投資の世界に足を踏み入れ、SNSを見ているとわかりますが、有名なインフルエンサーやフォロワーが多い有力アカウントの意見のなんと信用できないことでしょう。
結局、信じられるのは自分だけです。ブッダの話に被せてこのような意見を言うのは憚れますが、私は宗教とかも盲信するべきではないと考えています。
もちろん宗教の自由は否定しませんが、世の中の問題の根本に宗教がからんでいることが多いため、個人的には宗教ってそこまで大事にすべきことなのか?と思います。
自分を信じていれば、必要以上に神や仏に自分の心を委ねる必要があるとは思えません。最大限努力した上で、最後の一押しに神頼みをする気持ちはわかりますが、なんの努力もしないで神や仏に祈っていても結果は変わりませんし、根本的な解決にはならないのです。
何度も言いますが、最後に信じるのは、努力を重ねてきた自分自身だけです。いくら多額の資産やお金を持っていても、自分自身に芯がなければ、すぐにお金は手元から離れていきますし、稼いでも稼いでも不安で幸せにはなれないだろうと思います。
投資についてあれこれ勉強したりするのは良いことですが、それ以前に自分で自分を信用できる人間になるための努力をした方が、結果的には幸せになれるのかもしれませんね。