本日、twitterで『学歴の壁』というワードがトレンド入りをしていました。どういうことかなと思い、内容を見てみると、どうやら中卒の20代女性が書いたnoteが話題を呼んでいるようだ。

「学歴不問は“中卒OK”ではなかったのだ」と語る20代の筆者は、『学歴の壁』に阻まれ、無職だと主張する。日本では学歴による収入の差が大きく、中卒と大卒で平均年収ではおよそ200万円以上の差があり、生涯年収に換算すると男女ともに5.000万円以上の差があることになるということだ。
「両親が勉学について厳しい人だった。父自身もいい学校に行っていたので『それ以外の人生なんて存在しない』みたいな感じで。『なんで100点じゃないんだ』という態度。成績が低いと自分自身を否定されたような気になってしまって、自分っていらない人間なんじゃないかって。『なんで学校に行けない? なんでうちの子は普通じゃないの?』 と母親に涙されて、不登校にもなれず、学校にも居場所がなく。一時期はペンを持つことすら怖くなっちゃうくらい、追いつめられた」
中卒になったきっかけを明かす月光さん。「勉強」自体がトラウマになり、高校を中退。その後はアルバイトで生活を続けてきたが、将来を見据え、安定した仕事を求めて就職活動を開始した。だが、そこで身に沁みて感じたのは中卒への厳しい現実だった。

生涯年収の差が学齢によってあるというのは確かな事実であり、以前も『教育費は削ってはいけない』という記事を書いたことがありました。

一口に大卒だとしても、大学によってかなり収入は変わってきます。大学ごとの生涯年収ランキングは以下の通りです。
- 1位 東京大学(4億6,126万円)
- 2位 慶應義塾大学(4億3,983万円)
- 3位 京都大学(4億2,548万円)
- 4位 中央大学(3億9,368万円)
- 5位 早稲田大学(3億8,785万円)
- 6位 一橋大学(3億8,640万円)
- 7位 上智大学(3億8,626万円)
- 8位 同志社大学(3億8,590万円)
平均年収は2億5,000万円ですから、ランキングトップの方がかなりの高収入であることがわかりますよね。例え大卒だとしても、大学によって全然年収が違うのはなぜでしょうか。それは、卒業した大学を見るだけで、その人が努力ができる人か、ある程度の学習能力があるかどうかが判断できるからです。
また以前、とある大企業が、卒業した大学などを隠して新卒の採用試験を行ったところ、最終的に残ったのは結局、東大や京大、慶應大と言った一流大学の学生ばかりだったということです。結局、高学歴の人たちは、言うまでもなく”優秀”な人が多いということが分かります。
また、日本では学歴によって収入の差が大きいと思えるような記事の内容だが、日本ではまだマシな方で、米国や韓国などは学歴によってもっと格差が大きいのです。そしてそれは、努力してきた人とそうでない人の差だということなのです。
逆に考えてみましょう。中卒と大卒で平均年収が変わらない社会だとして、果たしてそちらのほうが平等でしょうか。努力した人の努力が全く報われない社会であって、本当によいのでしょうか。
記事の中でもあるように、大検を受けるなどして、高卒資格を得ることもできるでしょう。新卒ではなく、適当に選んだ企業でも入社して経験を積めば、職歴でカバーもできます。学歴がなくても資格を取ることもできるでしょう。
学歴を理由に就職できないのは学歴のせいだと主張するような奴は、結局どんな世界に行っても成功できないだろうなと思います。親が原因で勉強ができなかったと言われたところで、それは知ったこっちゃないですし、どうしても中卒でいるしかないのであれば、起業すると言う選択肢もあります。中卒でい続けるのは、ただの自分の責任だと思います。
我々は日々、努力をして成長していくことでしか、幸せになる方法はないのだと思います。努力が報われる可能性があるだけでも、マシな社会だと思うべきではないでしょうか。
学歴不問の面接で落とされるのは、中卒がダメなのではなく、あなたがダメなだけです。学歴は超えられない壁ではなく、あなたが超えようと努力していない結果壁を作っているだけなのです。そんな人を果たして、誰かが雇おうと思うでしょうか。
日本は資本主義社会の中では平等な方です。むしろ日本は、彼らのような底辺の人間にもまだ優しい国です。何でもかんでも、日本社会のせいにするな馬鹿野郎。と言う気持ちでいっぱいです。久しぶりに、胸糞悪い記事だなと感じた次第です。