ロイター通信によると、15日の東京株式市場で日経平均株価が上昇し、一時3万円の大台を突破した。取引時間中として3万円を上回るのはバブル経済期の1990年8月3日以来、約30年半ぶりとのことだ。
コロナショックによって、昨年3月には1万6千円台まで下落した日経平均株価ですが、その後の金融緩和の流れで追い風に乗り、世界的な株高を演出する中で、日経平均株価もついに一時的に3万円を突破したということだ。

1990年8月と言えば、私が生後3ヶ月の頃ですので、もちろん記憶には無く、実質初めて日経平均株価が3万円を突破したのを目の当たりにしました。金融緩和による異次元の株高の威力の高さを目の当たりにしたように感じます。
NYダウも昨年11月に史上初の3万ドルを突破し、足固めをしている状態ですが、日経平均株価もやっと3万円の水準を突破してきたかという印象です。このようなニュースを見ると株価は実体経済の指標にはならないということがよくわかりますね。
株価は将来への期待を織り込んで成長していくものですから、当然実体経済と連動するものではありません。昨年2月から3月のコロナショックでもそれが良くわかったかと思います。昨年の2月から3月頃は、まだコロナウイルスによる被害は今と比べれば限定的で、世界的な大流行の可能性が一気に高まったことで、将来の株価への影響が考慮され、大きく暴落する結果になったわけですからね。
いまだに、「実体経済とは乖離している」「株高は庶民には関係ない」という日本人的なスタンスを持ち続けていると、庶民はいつまで経っても庶民で居続けるしかなく、どんどん貧しくなっていくものだと私は考えています。日本人がいつまで経ってもお金持ちになれないのは『持たざる者』の思考回路がこびり付いており、アップデートができていないからなのだと思います。

日本人の異常な「預金」信仰は、低すぎる金融リテラシーの現れであり、預金だけで資産を築こうとしている人と投資を通じて資産を築こうとしている人の間には、絶望的なまでの格差が生じると言えるのです。
株価が実体経済と乖離しているのは当然で、日本株は『アベノミクス』政策によって、株高を演出することが政府公認となったわけですから、安倍政権発足後からコロナショック直前までの株高はいわば”確約”されたものだったと言えるのではないでしょうか。
結局は、政府がカブタカを演出するという政策を信じて株式投資にシフトした人々が大きく資産を増やした反面、何も行動をしてこなかった人々は、株価がバブルと言われている今でも景気の良い話をこれっぽっちも聞かないという状況にあるのです。
インフレは思うようには起きていませんが、緩やかに現金の価値は相対的に下落している事実は変わりなく、預金信仰が大好きな日本人たちはどんどん貧しい状態に陥っているのです。
何度も言いますが、株高は決して実体経済と連動するようなものではありません。それほど合理的な物なら株式投資で資産を築き上げるのは今よりももっと難しかっただろうと思います。
日々の株価をつけているのは、常に市場に参加する投資家たちの思惑、つまり”人の心”なのです。株式取引の”AI”化がいくら進んだとしても、株式市場に参加する人の心は、紙の株券を発行し、電話で売買注文をしていた時代となんら変わりないのです。
だからこそ、人々が楽観的に考え続ける限りはバブルは大きく膨らみ続けますが、その波に上手く乗ることを諦めた一般人はずっと貧乏なままなのです。
新型コロナウイルスのワクチンが実際に日本でも普及し始めることを期待して、日経平均株価は3万円を超えてきましたが、実際にコロナが終息に向かえば、また新しい材料を探し始めて、株価は乱高下をし始めるだろうと思います。コロナがこれほど世界的な流行を見せたことで、過去1年間はコロナウイルスの動向にさえ注意しておけば株価の行く末は見えるという感じでしたが、世界的な流行を抑えることができれば、またしても一寸先は闇の世界中のいざこざが日々の株価に大きな影響を与えることになるでしょう。
ここまでは、コロナによって逆に株価の見通しはしやすい時期だったと思います。おかげで資産を大きく拡大させた投資家たちの話もよく耳にするようになりました。ただ、彼らもまた同じような手法で今後5年も、10年も稼ぎ続けることは難しいということを理解しているのではないでしょうか。バブルをうまく利用できたことは素晴らしいことだと思いますが。
日経平均株価もやっと3万円に突入し、史上最高値の更新まで伸び続けるのかどうかわかりませんが、日経平均株価ですら、順調に伸び続けてきたという事実を非投資家の人々は頭に叩き込み、早く投資を始めることの大切さを噛みしめた方が良いのではないだろうかと思う次第です。