私Yukiは今月23日から、ひと足早めに年末年始の休暇をいただいており、彼女と一緒にクリスマスを過ごした後、26日から実家に帰省しております。
今年は、コロナのこともあり、ほとんどのイベントをキャンセルする必要がありました。それだけでなく、プライベートでも祖母が亡くなったり、色々と不幸が重なり、あまり良い年ではなかったなと感じています。
だからこそ、来年は良い一年になるよう、また、運勢のよくなかった今年の締めくくりのために、帰省したり友人と会うことを選びました。もちろん、精一杯コロナには気をつけて、人混みを避けるなどして対策するようには注意しております。
そんな風に体調管理には万全を期して、私は昨日、友人と京都へ出かけることに致しました。昨日訪れたのは、京都にある仁和寺というお寺。ちなみに、私は現在、喪中となりますので、神社には参拝できませんが、死を輪廻転生の一部と捉える仏教の考えにより、お寺であれば参拝することは可能となっております。
数年前から御朱印集めを趣味としていて、最近も精力的にお寺めぐりをしている友人と一緒に参拝いたしました。

私は、何度か行ってみたいなと思いながらも、寺院巡りができていなかったのですが、初めて仁和寺を訪れてみたところ、非常に素晴らしく、木の香りや、風の気持ちよさ、そして境内の中では、やはり少し空気が違うように感じるほどの澄んでいる様子など、画像では計り知れないほどの魅力がありました。

御室桜が有名な仁和寺ですから、桜の季節に訪れれば最高だったのでしょうが、冬の枯れた様もまた、風情があって素晴らしかったです。

正直、関西に住んでいたころは、京都なんていつでも行けるし・・・という気持ちで滅多に訪れることはなかったのですが、改めて関西に帰ってきて、京都を満喫したところ、本当に素晴らしいということを再認識することができました。もしかしたら30歳を迎えたことで、何か心境にも変化があったのかもしれないですけどね。「京都・奈良は30歳を超えると改めて訪れるべきだ」とはよく言われますが、身にしみて実感しました。
さて、仁和寺は国宝や重要文化財もあるとても歴史ある寺の一つですが、その名前で有名なのは、吉田兼好(兼好法師)の『徒然草』のエピソードの一つではないでしょうか。
徒然草第52段『仁和寺にある法師(石清水八幡宮)』というエピソードは、愉快な昔話の一つとして、中学生の古文の教材に選ばれるほど有名な作品です。
仁和寺にいた年老いたお坊さんが、岩清水八幡宮にお参りするというお話ですので、仁和寺は直接関係するわけではないのですが、とても有名な失敗談です。
仁和寺の年老いたお坊さんが長年の夢だった岩清水八幡宮へのお参りをやっと決心して出掛けたのですが、極楽寺と高良神社という末寺と末社にお参りしただけで、帰ってしまったというものです。
仁和寺に帰ったそのお坊さんは、友人に土産話をするのですが、「岩清水は想像以上に良かったです。でも、参拝者が皆、山に登っていくのです。山の上に何か面白いものでもあるのかと思った(岩清水八幡宮の本殿が山の頂上にある)んだけど、登らずに帰ってきたよ」というエピソードです。
そして、締めの一文が『すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり(ちょっとしたことでも、詳しい案内人は必要ですよね)』と締め括られているのです。
徒然草の話になってしまいますが、これって結構深いエピソードだと思うんですよね。なぜ、この年老いたお坊さんは、「山の上に何があるのか?」人に尋ねることをしなかったのでしょうか?単なる人見知り?
いえいえそうではありません。私の推測ですが、当時のお坊さんってかなりのエリートで、プライドも高かったんじゃないかと思います。
だって、考えてみてください。今では日本人の宗教観なんてほとんど皆無と言えるでしょうが、徒然草が書かれたとされる吉田兼好が生きた鎌倉時代〜南北朝時代というのは、寺院の権力というのは今の時代では考えられないほど強いです。
当時から冠婚葬祭を取り仕切っていたのは変わりありませんが、当時の政治家が国政の行く末を仏教の導きに任せたり、苦しむ人々を救う救世主のような扱いを受けていました。当時では珍しく、読み書きができる人が多かったり、その影響で珍しい書籍が集まることから学校や教育機関としての役割を果たしていました。医療が発達しておらず、病は悪霊の仕業とされていた時代ですから、お坊さんに読経をしてもらうことが、最先端の医療だった時代です。戸籍の管理をしていたことから、市役所としての役割や、徴税など、税務署としての役割も兼ねていました。
当時のお寺って莫大な権力を有しているエリートの集う場所だったんですよね。しかも仁和寺と言えば真言宗御室派の総本山です。そんなお寺に在籍しているお坊さんといえば、エリート中のエリートですよね。マジで超偉い人。今で言う上級国民です。
さらにそんな仁和寺から、あまり外にも出ていなかったようで、まさに頭の固い杓子定規なエリート出身のご老人という人物像が想像できます。
そんなエリート様が憧れを持つほど、有名で権威のある岩清水八幡宮に、年老いてから初めてお参りに行ったのです。そもそも、『仁和寺にある法師』からすれば、この年までお参りしたことがなかったと他人に言うのもプライドが許せないと言うのが本音ではないでしょうか。
頭の固い、エリート出身の上級国民のお年寄りが、岩清水八幡宮のふもとまで行ったとして、「この登山客は何をしているのですか?」などと質問ができるでしょうか。もし、今からでも山に登ろうかとしている人に質問をして、「えっ、このおじいさん、そんなことも知らないで来たの?www」とか思われたら、プライドが許せん!と考えたのではないでしょうか。だから彼は、誰にも質問できなかった。だから彼は、岩清水八幡宮の本殿に参拝するチャンスを、プライドの高さで潰してしまったのではないかと思います。
あくまで私の推測なので、真相は分かりませんが、可能性としてはあり得る話ではないかと思います。
『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』と言うことわざがあるように、経験者に経験談を尋ねることはとても重要なことだと思います。私も先に寺社巡りをしていた友人から色々と教わりました。
京都を代表する企業、オムロン(6645)の社名が、『御室(おむろ)』の地で創業したことに由来することや、御朱印や参拝料の支払いのために、できるだけ小銭か千円札を用意しておいた方が良いことなどです。私のお得意のキャッシュレス決済はお寺の中ではほとんど無効でした。
その友人は3年ほど前から株式投資を継続していますが、株式投資については、私が彼に色々と教えてあげました。本業で忙しいなら、余剰資金をインデックス投資に回すだけでも将来的には素晴らしい資産になり得ると言うことなどです。
『すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり(ちょっとしたことでも、詳しい案内人は必要ですよね)』という言葉はとても核心をついていると思います。どんなエリートでも、全ての出来事に明るいわけではありません。自分では分からない分野については、他人に質問したり積極的に人から学ぶ姿勢を見せる人の方が成長するものです。
仁和寺にある法師の人物像は、エリートゆえのプライドの高さを併せ持つ頑固なおじいさんという、成長性の対極にある人物でした。当時のおじいさんと言っても、年齢で言えばおそらく30代頃でしょうか。鎌倉時代の平均寿命は24歳と言われていますから、もしかしたら、私よりも若いかもしれません。現代日本においては、まだまだ働き盛りであり、頑固で他人の意見を聞かない人物となるのは早すぎます。
株式投資の世界でも、賢人と呼ばれる先達者の意見を飲み込むことができる人が成長しますし、長期的に株式市場に残り続けている投資家の言葉は金言だと言えるでしょう。いくつになっても、誰からでも学ぶ姿勢であり続けなければ、人はすぐにでも成長しなくなるのだと言えるのではないでしょうか。
そんなことに想いを馳せながら、世の中の喧騒を忘れて、のんびりとした素晴らしい時間を過ごせた1日でした。これからもお寺巡りは続けたいなと感じました。